自分の心からの想いを
おもいっきり表現している時
なんだかすごく
エネルギーが湧いてくるような感覚がある
現代って、熱くなる人ほど馬鹿にされて
人のために何かをしようとすると
偽善だとか、綺麗事だと罵られる風潮があるけれど、人は誰かのために必死になっている時ほど美しいじゃないか、と僕はよく思う。
人が心から涙を流す時、それは人が、自分を犠牲にしてでも、人を守ろうとする時。
「なんて美しいんだろう」
と、胸が熱くなるあの感覚は、人間誰しもが持っているものなんじゃないだろうか。
人の心の中には、「善なる想い」が必ずある
例外はない。
全員の中にそれはある。
しかし、その善なる想いが発する声は
「自分がまずは認められたい」
「自分さえ良ければいい」
といった、自意識によってかき消されてしまう
頭でこねくり回した
言い訳、自己保身、善悪思考、損得勘定で
上塗りされてしまう
本当はもっとシンプルで、純粋な想いが、あなたの中には存在しているのに、
そこに耳を傾けずに、頭ばかりを働かせてしまうから、熱さを失い、
生きている意味がわからなくなり、
漠然とした不安が常に追いかけてくる
誰かのために熱くなることに
いちいち理由なんかいらない
「親切にすれば、つけあがる」
「与えた分だけ、それが普通になる」
そういう経験をしてきていたら、ブレーキがかかることもあるかもしれないけれど
「自分が何をするのか?」
ということだけをまずは意識するのはどうだろうか。
「相手がどういうリアクションを返してくるか」ではなく
「自分がどういうアクションを起こすのか」
の部分にだけ、意識を向けていけば
見返りがないとか、馬鹿にされるとか
相手がつけあがるだとか
そういったものは、どうでもよくなる。
意識がぶれず、自分の軸をしっかり持って
心が温かい状態で日々を生きられるようになる
心の中にある「善なる想い」が発する声に
耳を傾けて、誰かのための行動をしていこう
そうやって、「心」を大事にしていくと
不思議と、不安は消えていき、感情が穏やかになっていき、あなたの良さがもっと引き出されていくはず。
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